2010年10月26日

podcast「広告を入れないビジネスモデル」

 また試験的にpodcastを始めることにしました!
 基本的にUSTREAMと同じ内容ですが、iPhoneなどをお持ちの方は自動的にダウンロードする設定にできるので、こちらのほうが便利かもしれませんね。

 RSSはこちらです。
 http://blog.hyoron.jp/index20.rdf

 今日は「広告を入れないビジネスモデル」というテーマでお話しています。




★10月21日配信の「本屋はフリーだった」です。実は、書籍というものはそもそも「フリーなメディア」だったのではないか、ということについて考えてみました。


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2010年10月22日

なぜ「小学校では体育のできる子がリーダーになる」のか。

 三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです。

 小学校のときから私は目立ちたがりやりたがり、だけどリーダーシップというものは微塵もなく、とにかく人から信頼されることや人を動かすことができないという、悲劇かもしくは喜劇か、というような小学校時代を過ごしておりました(今では「自分にリーダーシップがない」ということを熟知しておりますので、それなりに対処できるようにはなりましたが、基本的には変わっておりません)。
 「やる気はすべてを可能にする」とある意味正しい、ある意味おろかな信念を持っていた私は、まあとにかく空回りする日々をおくっていたのです。

 そんな私にまぶしく映ったのが、Sちゃん。
 「ちゃん」とか気軽に言ってしまいましたが、彼女は小学5、6年の私から見ても、まぶしいばかりのリーダーシップを持っていて、とにかく人から信頼され尊敬されていました。
 彼女と2人でじっくり話したのは1度だけですが、2人で放課後の校庭で日が暮れるまで話したことは忘れられません。内容はすっかり忘れてしまいましたが、そのときに感じた「リーダーって、こういう人のことをいうんだ」という気持ちは覚えています。

 でね。
 なんで今日、こんなことを何十年ぶりに思い出したかと言いますと。
 今朝から始めたUSTREAM番組「『内田樹の研究室』を読む」で、「武道と統治能力」というお話をしたのです。

 それを話している最中、「あっ」と、あることに思い当たったわけです。

 小学校で、リーダーシップをとっている子というのは、ほぼ例外なく、「体育のできる子」だった!。

 例えば先述のSちゃん。
 彼女はバスケ部に所属し、体育全般よくできる女の子でした。

 なるほど〜。

 今日お話したことは、「内田樹の研究室」2007年3月26日の話なのですが、

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だからこそかつては戦場における武勲がそのまま治国平天下の能力に読み替えられたのである。

「内田樹の研究室」2007年3月26日より。
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 というくだりに私は非常に感動したのです。

 くわしくは上のブログの全文をお読みいただきたいのですが、「武道に優れている者は、他者との共感能力が強く、ひいては統治能力に優れていると判断された」ということです。

 ここで、突然思い出されたのがSちゃんのことです。
 その他にも、小学、あるいは中学低学年でリーダーになっていたのは、身体的能力が高い、つまり体育のできる子だった、ということに思い当たったのです。

 なるほどなるほど!

 不思議なことに、高校、大学、と上がっていくごとに、「体育の出来不出来」と「リーダーシップ」の相関は薄れていったような気がしますが、それだけ小学生というのは、感覚的に物事を判断する動物なのかもしれません。

 とつぜん判明した長年の謎。
 なぜ、私が小学校のリーダーに向いていなかったのか、今ならわかります。
 ただ、わかったところで解決できるか、というとまた話は別。

 だけど、「わかる」と「わからない」にはとっても大きな差があります。
 わかっただけ、まあ、小学生よりは進歩したのではないか、と思っております。

★今朝2010/10/22放送の「『内田樹の研究室』を読む 武道と統治能力」です。機材トラブルでiPhoneからの配信です。聞き取りにくいしあまりうまくしゃべれていないのですが、後者はいつものこと、ということでご容赦ください。


武道的思考 (筑摩選書)

武道的思考 (筑摩選書)

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 単行本



 ↑この本、出たばかりでまだ未見なのですが、いちおうリンク。

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2010年10月16日

「裏切られた」などとせこいことを言うな。

 タイトルはウチダ先生のブログ「内田樹の研究室」2007年1月30日の記述からの「いただき」である。
 http://blog.tatsuru.com/2007/01/

 ああまったく、ウチダ先生というのは、どうしてこうも私のいいたいことをズバリと言ってくれるのでありましょうか。
 そう考えている人が大変多いからこそ、氏のファンが多いのでしょうけれども。

 全文を読みたい方は上のリンクをクリックしてくれたまい。
 私が感激したのは以下のくだりである。

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私がメディアに期待するのは次のような言葉である。
「テレビがこんなふうに構造的に腐敗していることを私は熟知していたが、それをあえて咎めなかった。なぜなら、テレビのようなメディアはどれほど腐っていても、ないよりましだからだ。『正しい報道・中立的な報道以外のものはなされてはならない』というルールが適用されたら、メディアは死ぬ。だから、視聴者は90%のジャンクの中に10%の貴重な情報が含まれている程度の含有率に耐えてテレビを見るべきなのだ。『裏切られた』などというせこいことを言うな。黙ってテレビの嘘を凝視して、その行間からしみ出るわずかな真実を読み出せ。」

「内田樹の研究室」2007年1月30日より

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 うんうん。
 特に最後の二行は激しく同意。

 とにかく私、最近の「いいことをしなければならない」「とにかく人は善人でなければならん」という風潮にヘドが出そうなのであるよ。
 というか、そんな社会は気持ち悪いを通り越して、恐ろしい。怖い。

 だって、「心からの善意を持った善人」ほど、空恐ろしいものはないんだぜ。

 ううむ。
 ここで、「善」とは何か、って説明しようとしたんだけれど、うまく言えないな。
 箇条書きにしてみましょ。

・「善は正義である」と人は思いたがる。
・「善意から出た行動をする人」は、「その行動が相手から拒絶される」と、「相手を悪と見なす」ことが非常に多い。
・善の基準は、人、あるいは属する集団などによってそれぞれ異なる。

 まー(面倒くさくなったので)ぶっちゃけ言うと、「善意の人」って、対象との距離がうまくとれてない人が多いのよ。
 「これは絶対にいいことに違いない!」と思うことが多くて、「本当にそうかな? これはいいことなのかな」と思うことがない。

 悪人は違うよ。
 「悪いことをしよう」と思っている人は、「それ」が悪いことだとわかっているぶん、対象と距離が取れている。だから、「それ」を客観的に見ることができているし、なぜ悪いかもちゃんと認識できている(と、思う)。

 「いいこと」ってね、「わるいこと」より堂々と言えるぶん、思い込みやすいし、押しつけやすい。

 だけど、もし、その「いいこと」が、相手にとって、あるいは他の人たちにとって、悪いことだったらどうするのさ。
 本当にその「いいこと」って、いいことなの?

 ……。
 で。
 ここで難しいのは、世の中って、大きなことから小さなことまで、矛盾で満ちている、ということなんだよね。
 世界は数学のように整然としていないんだよ。
 つか、長所の裏は短所、というのは世の中では当然でして。
 
 そんなときに、私たちがとらなくてはいけない行動はですな、「ま、ここはひとつ」的な、譲るところは譲る、押すとこは押す、というスライダ的対応だと思われ。
 スイッチ的な「これはいい! これは悪い!」というのは、カッコいいけれど、世の中ではけっこう害になることが多い(評論家は、それが商売ですから、許してあげましょう。「ま、ここはひとつ」寛大なココロを持って)。


 さて話は戻ります。
 先ほどのブログの記事で、ウチダ先生はこうもおっしゃっています。

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「知りませんでした」「聞いていない」「情報が現場からから上がってこない」「訴状をまだ読んでいない」「調査委の答申を待って」・・・この間に見聞きしたすべての不祥事で、すべての組織の管理者たちは、「自分は組織を管理できておらず、組織内で何が起きているかを知らなかった」とみずからの無能を告白することで責任を逃れようとしている。
私たちの社会はこの種の遁辞に対してかなり寛容である。
だから、人々は争って「自分は無知で、無能で、だから無罪です」という言い訳にすがりつく。

「内田樹の研究室」2007年1月30日より

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 これって、やっぱりずるいよね。 
 ……だけど、考えようによっては、「メディア(この場合は、テレビ)は、自分でそのツケを払うんだから、いいのか」とも思える。

 だってもう、テレビを100%信用している人なんて、いない(もしくは少ない)と思うし。

 いーじゃん、もう。
 テレビはウソってことで。
 「『裏切られた』などというせこいことを言うな。黙ってテレビの嘘を凝視して、その行間からしみ出るわずかな真実を読み出せ。」

 たぶんそのほうが私たちにとって、テレビはきっとエキサイティングなメディアになると思うよ。
 そもそも、「ウソ」情報で困るのは、メディアの人(私、含む)だけなんだし(自業自得)。
 「テレビは真実を言っている」とか思うから、テレビのウソに腹が立つんだよ、きっと。
 「さあ今日はどんなホラを吹いてくれるのかしら」と思えば、テレビは100倍楽しくなる!

 それがテレビのためになるかと言いますと……答えは言うまでもありません。


追伸 私、ずっと「一日一善」のアノCMは、「一日一膳」だと思っていました。「いいことするにはおなかが空くんだなあ」とか。


★(たぶん)10月10日配信の「ヘタでよい、とは魔法の言葉」です。最初からうまくできる人なんていません。数少ない天才の言葉には耳を傾けてはいけませぬ。


新選組血風録 (角川文庫)

新選組血風録 (角川文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 文庫


★バーバラ個人的にはこの表紙↑より映画「御法度」のときの表紙が好きです。

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2010年10月10日

続・おもらいデブ&続続・ロッキーはすごい

101010本日の我が社.jpg

 また新米をいただいてしまいました。
 皆さまのご寄付で生きております。托鉢をして生きている気分。


 さて。
 昨日、映画「ロッキー」について書きましたが、重要なことを書き忘れていました。
 http://blog.hyoron.jp/article/165171509.html

 「ロッキー」で、ロッキーは試合に負けたにもかかわらず、ヒーローとなります。
 では、「勝った」アポロはどうだったのでしょう?
 判定勝ちで「勝った」アポロは、みじめだったのでしょうか?

 とんでもない!

 よく考えてみてください。この「試合」はそもそもアポロが仕掛けたもの、つまり、アポロはこの試合のプロデューサー、仕掛け人なのです。
 
 結果として、この試合は大成功をおさめました。
 つまり、仕掛け人としてのアポロは大成功したわけです。

 試合で最後まで負けなかったロッキーはヒーローとなり、この舞台を用意したアポロもまた、成功したのです。
 この試合に敗者はいないのです。
 このWin-Winの構図が、この映画の後味の良さにつながっています。
 
 敗者のいない、アメリカン・ドリーム。
 これは、「ロッキー」を名作たらしめた要因のひとつなのではないでしょうか。

 ものすごいきれいごと、ですけどね。いいじゃない。
 きれいごとが大嫌いな私も、このくらいすがすがしければ、むしろ歓迎ですね。


★10月5日配信の「自動車部 トヨタ、軽自動車に参入!」です。配信者が冷や汗をかくほどの過激発言連発! ぜひごらんください。


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